お散歩
「千尋、どこへ行く?」

 陽が天頂に上った真昼。

 政務に忙しくて新妻をかまってやれないのならリブにうまい茶でもいれさせて昼の休憩を妻と共にとろうと考えていたアシュヴィンは、千尋の部屋の前まで来てどうやらその計画が実現できそうにないことに気付いた。

 千尋がちょうど部屋から出てきたところだったからだ。

 しかも外出するようにきちんと着替えている。

 そして、その千尋の後ろにいたのは…

「ああ、アシュヴィン。これからちょっとお散歩に行ってこようかと思って。」

「お散歩とはそれとか?」

「それとか言わないで。アシュヴィンが忙しすぎるのがいけないんだよ。お散歩もしてあげないんじゃかわいそうじゃない。」

 そういう千尋の背後には黒麒麟の姿があった。

 いつの間にかすっかり千尋になついたらしい黒麒麟はおとなしく千尋の後ろに従っている。

 アシュヴィンは眉間にシワを寄せて黒麒麟をにらみつけた。

「一人で行くのではなかろうな?」

「一人だよ?だって黒麒麟は空飛んでくれるからそんなに危険なことはないし。矢も届かないような高いところ飛んでもらうの。」

 そう言って楽しそうににっこり微笑まれてはもうアシュヴィンに抵抗の手段はない。

 深い溜め息をつくと千尋が外へと駆け出せるように自分の身を壁際に寄せた。

「アシュヴィン?」

「わかった。俺は共には行けぬからな。気をつけて行って来い。」

「アシュヴィン!有難う!」

 嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、千尋は黒麒麟のたてがみを優しくなでた。

「さ、行こう。」

 そう言って千尋が歩き出せば、機嫌よさそうに黒麒麟がそれに続いた。

 これではまるで主は千尋のようだと思いながらアシュヴィンは二つの後ろ姿を見送った。

 自分には午後からも政務が残っている。

 本当なら千尋と共に行きたいところだが…いや、黒麒麟はおいて二人で行きたいところではあるのだがそうもいかない。

「や、陛下、姫様はどうなさいました?」

「黒麒麟と散歩に行くそうだ。」

「やっ、では、お茶は…。」

「俺が一人で部屋で飲む。」

 そう言って軽く溜め息をついて自分の部屋へと歩き出すアシュヴィンの背中を茶器を抱えてやってきたリブは苦笑しながら追った。

 国思いのこの皇はリブの知る限り、この常世で一番の妻思いでもあるのだが、皇としての立場があってはなかなか妻を愛でることもできないのだ。

 それをよく知っているだけにリブはもう苦笑するしかなかった。





 アシュヴィンは午後から視察に出ていた。

 自分の治める国が平和で豊かであるかどうか。

 民達に不満は溜まっていないか。

 視察で見なくてはわからないことは案外と多い。

 だからアシュヴィンはよく視察に出るのだが、これはこれで妻に文句を言われたりもする。

 本当は妻と一緒に国を回れたらいいとも思うが、まだ物騒な輩もうろついている状態ではいくら神にも弓引く戦姫を妻にめとったとはいえ、そう簡単には連れて歩けない。

 それで結局、飼い犬ならぬ麒麟に妻をさらわれる始末だ。

 と、帰路の馬上で昼の出来事を思い起こせば憂鬱で溜め息しか出てこない。

 今日もこのまま帰るとすっかり陽も暮れてしまって、妻とゆっくり話をする暇もないだろう。

 明日も予定はぎっしりつまっているはずだ。

 アシュヴィンは馬上で何度目かわからない溜め息をついて空を見上げた。

 すると…

「あれは…。」

 空の彼方にアシュヴィンは黒い小さな影を見つけた。

 そしてそれはアシュヴィンの予想通りにどんどん大きくなって…

 その影は近づけばすぐに黒い麒麟だとわかって、皇を守る衛兵達が右往左往する中、主の前へと降り立った。

「どうした?お前、今日は千尋と散歩で機嫌がいいのではないのか?」

 麒麟に嫌味を言っても始まらないのだが、そうとわかっていてもアシュヴィンの口からはそんな言葉しか出てこない。

 ところが、主の心を知ってか知らずか黒麒麟は乗れとばかりにアシュヴィンに頭を垂れて見せた。

 よくよく考えてみれば黒麒麟に乗って空を駆ければ帰るのはあっという間で、衛兵を連れて歩く必要もない。

 アシュヴィンはニヤリと笑うと傍らのリブへと騎馬の手綱を放った。

「や、陛下?」

「俺はこれで一足先に戻る。お前達はゆっくりこい。」

 そういうが早いか黒麒麟にまたがったアシュヴィンはあっという間に空へと舞い上がった。

 小さくなっていく部下達に軽く手を振って、アシュヴィンは空を物凄い速さで駆け出した。

 行き先は告げなくとも黒麒麟は心得ているらしい。

 久々に麒麟の背に乗って風を切ると心地がよくて、根宮まではあっという間だった。

 あっという間に根宮の上へと到着し、いつもなら入り口へと降り立つ黒麒麟は主の思いを知ってのことか、千尋の部屋の窓辺へと降り立った。

「お前、なかなか気がきくな。」

 そう言ってアシュヴィンが黒麒麟の背をポンと軽く叩いてやると、窓を力いっぱい開けて千尋が飛び出してきた。

「アシュヴィン!」

「今戻った。」

「うわぁっ!本当にアシュヴィンを連れてきてくれたのね!有難う!」

 帰りを告げるアシュヴィンは無視して千尋は黒麒麟の首に思い切り抱きついた。

 目を丸くするアシュヴィンはすっかり蚊帳の外だ。

 黒麒麟はうれしそうに千尋に何度か頭を擦り付けて、千尋に解放されるとすぐにどこへともなく駆けて行ってしまった。

「有難う!またお散歩しようね!」

 見送る千尋は楽しそうに黒麒麟に手を振っている。

 アシュヴィンは呆然と黒麒麟を見送ってから溜め息をついた。

「アシュヴィン?」

「本当に連れてきてくれたというのはどういうことだ?」

「ああ、うん、お散歩の後ね、アシュヴィンがまた遠くまで視察に行っちゃったって聞いたから、また今日も会えないのかなって思って…それで、黒麒麟なら空を駆けることができるからアシュヴィンもすぐ帰れたのにねって話をしたの。そうしたら急に空を駆けてどこかへ行っちゃって。」

「俺を乗せて帰ってきたというわけか。」

「そうなの。まさか本当に迎えに行ってくれるなんて思わなかったから驚いちゃった。」

「まったく、あれは誰を主だと思っているのだかわからんな。」

 そうは言っても、想像以上に早く千尋に会えたことは嬉しくて。

 アシュヴィンは千尋をさっと抱き寄せた。

「ちょっ、アシュヴィン!ここは外!」

「誰もいない。」

「そうじゃなくて!気になるでしょ!」

「ならん。」

「もぅ、アシュヴィンはならなくても私はなるの!」

「一日中あれにお前を独り占めにされた。眠るまでの一時くらい俺にも時間を裂け。」

「黒麒麟にやきもち?」

「お前があれのたてがみをなでてやったりするからだ。」

 そう言ってアシュヴィンが腕を緩めると、千尋は驚いたような顔をしてアシュヴィンを見上げて…

 それからすぐにクスクスと笑みを漏らしながらアシュヴィンの腕を逃れて部屋の中へ入るとくるりとアシュヴィンのほうへ向き直った。

「常世の皇様は意外とやきもちやきなんだから。いいことしてあげる、アシュヴィン、ここに座って。」

 そう言って千尋は部屋の片隅の椅子を持ってきて指差した。

 アシュヴィンは小首を傾げながらも可愛らしくお願いする妻には逆らえなくてその椅子にすっと腰掛けた。

 すると、するすると音がしていつも編んでいる後ろ髪を解かれてしまう。

「千尋?」

「これ、いつも采女に編んでもらってるんでしょう?」

「そうだが?」

「私だってそれは少し妬けるから。」

「ん?」

「これからは私が編んであげる。」

「できるのか?お前。」

「できるの!そりゃ、向こうの世界にいる時は風早が髪を梳いたりしてくれてたから自分のはあまり得意じゃないんだけど…でも友達のは編んであげたりしてたから大丈夫!そもそもこういうことは女の子は得意なものなの!」

「ほぅ。」

 風早に髪を梳いてもらっていたという一言が気になるにはなったが、それ以上に自分の髪を触る千尋の気配が愛しくてアシュヴィンは口元をほころばせた。

 すると千尋は意外と器用にアシュヴィンの髪を編んでいく。

 采女にびくびくされながら編まれるのとは違って、どこか心地いい。

「痛くない?」

「ああ。」

「もうちょっとね。」

 どうやら真剣らしい千尋の声を聞きながらアシュヴィンは目を閉じた。

 背後には愛しい妻の気配。

 髪から伝わるのは妻の手のぬくもり。

 これも皆、黒麒麟が迎えに来てくれたおかげかと思えば、昼間少しくらい散歩に行かせるのも悪くないかもしれない。

 アシュヴィンがそんなことを考えていると髪が解放された。

「はい、出来上がり。どう?」

 目を開けて自分の髪を手にとって、アシュヴィンは目を丸くした。

 なかなか綺麗に編みこまれていたからだ。

「器用なものだな。」

「でしょ?これからは毎日編んであげるね。」

 アシュヴィンの前に回りこんで満足そうなアシュヴィンを見て微笑む千尋は本当に愛らしくて…

 アシュヴィンは千尋の手をとるとそれをくいっと引っ張った。

「きゃっ。」

 小さく叫び声をあげた千尋の体はすとんとアシュヴィンの膝の上に…

 アシュヴィンはそんな千尋を膝の上に抱き上げて抱きしめてしまった。

「アシュヴィン!危ないじゃない!」

 顔を真っ赤にして千尋が抗議してもアシュヴィンが謝る気配はない。

 それどころかアシュヴィンは千尋を抱く腕に力を込めた。

「いつも一人にしてすまない。」

「へ?」

 聞こえてきたアシュヴィンの低い声に驚いて、千尋は目を丸くした。

 見ればアシュヴィンが力なく苦笑を浮かべている。

 アシュヴィンのこんな顔を見るのは初めてかもしれない。

「だ、大丈夫!アシュヴィンが立派な皇なのはよくわかってるし、立派な皇は仕事の手を抜いたりしないもの!ちゃんとわかってるから大丈夫!」

 そう言って精一杯の微笑を浮かべて見せる千尋。

 いじらしい姿も愛しくて、アシュヴィンはその唇にそっと口づけた。

「シャニが早く成人してくれるといいのだがな。」

「へ?ああ、お手伝いしてもらえるもんね。」

 口づけに顔を赤くしていた千尋はすぐにクスッと笑みを漏らした。

 ところが…

「いや、手伝わせるつもりなどない。」

「でも、今…。」

「皇の位を譲れるだろう?」

「はい?」

「あいつに皇の位を譲って俺はお前と隠居生活だ。」

「ええええっ!」

「なんだ、不満か?隠居すればいつも共にいられるぞ?」

「冗談、だよね?」

「いいや?」

「……。」

 一瞬凍りついた千尋はすぐに我に返るとキリリと厳しい表情でアシュヴィンを睨んだ。

「そんなの絶対ダメなんだからっ!アシュヴィンは立派な皇なんだからちゃんと最後まで皇をやって!」

「まぁ、お前ならそう言うとは思った。」

 膝の上で可愛らしく怒っている妻にアシュヴィンは優しく微笑んだ。

「やっぱり冗談だったんだ、もぅ。」

「いいや、半分は本気だったんだが、それで妻に愛想をつかされてはたまらんからな。」

「そ、そんなことないけど…。」

 そう言って赤くなってうつむく千尋をもう一度抱きしめてアシュヴィンは満足げな笑みを浮かべた。

 こんなふうにたまに妻とじゃれあう時間はいいものだ。

 心の底からそう思っていると千尋も幸せそうな笑みを浮かべてもたれかかってくれて…

 やはりこれからもたまには黒麒麟を千尋と散歩に行かせてやろう。

 妻を膝の上に抱きながら、アシュヴィンはそう決めていた。








管理人のひとりごと

本当はこの後、白麒麟もやってきて2頭とお散歩ってのも書きたかった(笑)
そう、風早麒麟も何気にお散歩(’’)(マテ
で、なんとなくいやーな気持ちになる殿下、みたいな(w
そんな妄想をしながら書いてました(’’)
殿下のあの三つ編みは自分で編んでたらいやだなぁとか
色々な妄想が合体しています(’’)
殿下は放っておいても千尋ちゃんといちゃついてくれるから楽です…







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