
アシュヴィンは寝台に寝転んで自分の片腕を枕にぼーっと小さな背中を眺めていた。
暑い夏の夜。
開け放たれている窓の向こうには綺麗に輝く丸い月。
そして、その月明かりを浴びて背を向けているのはアシュヴィンの愛しい妻、千尋だ。
たまに仕事が早く終わってゆっくり妻との時間を楽しもうと足を運んだ寝室では、その愛しい妻が月見の真っ最中だった。
しかも、とにかく今夜は暑い。
窓辺なら暑い夏の夜でも少しはましな風が入ってきて心地いい。
となると、無理に寝台に引きずり込むわけにもいかず、アシュヴィンは必然的に一人寝台で妻の背を眺めることになってしまった。
「まだ寝ないのか?」
「へ?うん。暑くて寝苦しいし、それに、月がとっても綺麗で。」
そっと声をかけてみれば振り返った千尋の笑顔は穏やかで楽しそうで…
そして返ってきた答えは予想通りだった。
「アシュヴィンは暑くないの?」
「まあ、暑いな。」
暑いとは思う。
だが、アシュヴィンは戦場を駆けまわっているような男であって、千尋のようにか弱い女性ではない。
「こっちに来ればいいのに。風、気持ちいいよ?」
小首を傾げながら言う千尋を見ながら、アシュヴィンは二度ほど目をパチパチとしばたかせた。
それは誘っているのか?とはもう問わない。
彼女は別に誘っているわけではなく、無意識に、そして本心からこっちで涼めば?と言っている。
千尋がそういう女性だとアシュヴィンはもう知っていた。
けれど…
知ってはいても、誘いに聞こえるものはしかたがない。
と心の中で言い訳をして、アシュヴィンは立ち上がった。
アシュヴィンが千尋の隣に座れば、千尋は嬉しそうに微笑んで、その視線を再び空へと戻す。
千尋の視線の先を追ってみれば、そこには綺麗な月と、まるで月から放たれた光の破片のような星が広がっていた。
「なかなかいい眺めだな。」
「でしょう?見飽きなくて。」
楽しそうに言う千尋の声にアシュヴィンが思わず微笑めば、二人の間を夏の夜風が吹き抜けた。
なびく千尋の黄金の髪が月明かりに映えてまぶしい。
自然とアシュヴィンはそのさらさらとなびく金の髪に手を伸ばした。
「アシュヴィン?」
触っているだけで心地のいい髪をそっと撫でると、千尋が不思議そうにアシュヴィンを見上げた。
抱きしめたり口づけたりはしてもこうして頭を撫でることなど今までそうはなかったから、千尋が不思議がるのも無理はない。
アシュヴィンは小首を傾げる千尋も愛らしくて、満足げに微笑んだ。
「どうしたの?急に。」
「ん?なに、風になびく奥方殿の髪はたいそう美しいと思っただけだ。」
「そ、そんなこと、ない、と、思う、けど……。」
あっという間に顔を真っ赤に染め上げる千尋はもう破壊的に愛らしい。
我慢の限界とばかりにアシュヴィンが身を乗り出しかけたその時、千尋が深いため息をついた。
「どうした?」
「あのね…。」
「ん?」
「その……。」
「なんだ?」
「それでなくても暑いのに、アシュヴィンが恥ずかしいこと言うから、顔がもっと暑くなっちゃって……。」
首まで赤くなりながらの千尋の告白に、アシュヴィンはクスッと笑みを漏らした。
「笑わなくてもいいじゃない!」
「すまんすまん。お前が愛らしいことを言ってくれるからだ。」
「ま、またそういうこと言う!」
千尋の顔がますます赤くなっていくのはもちろん怒っているからじゃない。
アシュヴィンは笑いをおさめると、千尋の肩を抱き寄せた。
「アシュヴィン!」
「ん?」
「ん?じゃなくて!冷静に『ん?』じゃなくて!」
「だからなんだ?」
「………もぅ、アシュヴィンといると全然涼しくならない…。」
赤い顔も耳もそのままに千尋がぷいっと視線を反らせても、アシュヴィンにはもう誘っているようにしか見えないのだが…
ここは千尋が本当に拗ねているとわかっているので、アシュヴィンはさっと千尋の肩から手を離した。
もちろん、名残惜しいことこの上ないが、こうすれば千尋がどんな反応を示すか興味があった。
いつもならここで無理にでも抱き寄せて腕の中に閉じ込めてしまうから、じたばたした末に千尋はおとなしくアシュヴィンにすり寄ってくる。
では、手を離したら?どうなる?
アシュヴィンは手を離した次の瞬間、その疑問の答えに目を丸くした。
珍しくアシュヴィンに解放された千尋は、はっとアシュヴィンの方へ振り返ると、目を見開いて驚きの表情を浮かべたのだ。
そんなに驚かれるとは予想していなかったアシュヴィンも目を丸くして、二人はお互いに驚いたまま一瞬凍り付いてしまった。
「えっと、どうしたの?」
「何がだ?」
「え、だって、いつもなら放してくれないから…。」
「ああ、お前は今暑くて、俺のせいで涼めないと言っているのだろう?だから涼めるようにしてやっただけだが?」
「そう、なんだ…。」
「ああ。」
なんだか妙にぎこちない会話の間に千尋の視線はどんどん下へ下へと下がって行った。
きっと今見ているのは部屋の床に違いないというほど。
抱き寄せてもじたばたする、放せば放したで不満なら俺はどうすればいい?
と、アシュヴィンが文句の一つも言ってやろうと口を開いた刹那、千尋がさっとアシュヴィンとの距離を詰めた。
「は?」
「な、なに?」
「そんなにくっつくと暑いだろう?」
「そ……そう、なんだけど……。」
「涼みたいんじゃないのか?」
「それもそうなんだけど……。」
千尋の言葉にそぐわない行動にアシュヴィンは混乱した。
で、結局、どうしてほしいというのか。
いくら悩んでみても答えが出ない。
「ああ、わかった、今回ばかりは降参だ。正直に問う、俺はどうすればいい?」
「へ…。」
「肩を抱けば暑いと言って拗ねられる、放せばお前が寄ってくる、俺はどうすればいいんだ?」
「それ、は…………いつも通り…。」
「は?それは暑くて嫌なのだろうが。」
「涼しくならないとは言ったけど、それが嫌だっていうわけじゃ……。」
「はぁ?」
「お、乙女心は複雑なの!」
叫ぶようにそう言った千尋はぴったりアシュヴィンにくっついて座ったまま、またもや首まで赤くなって視線を床へと落してしまった。
千尋曰く、アシュヴィンがいつも通り抱き寄せたりすれば涼しくはならないが、それが嫌なわけでもないという。
ということは、いつも通りにしてなんら問題ない、ということ。
更には、いつも通りにしてもらいたいということか?
アシュヴィンの思考回路がそこまで答えをはじき出すと、その手は自然と千尋の方へ伸び、そしてその体を抱きしめていた。
「ちょっ、アシュヴィン?」
「俺の最愛の奥方殿はずいぶんと嬉しいことを言ってくれるようになったな。」
「最愛とかさらっと言わないで!」
「本当のことをさらっと言って何が悪い。」
「だからそれが、涼しくならないんだって………え、嬉しいこと?」
「ああ、俺が側にいて、たとえ暑い思いをしても嫌ではないと言ってくれた。」
「そ、そんなの当たり前でしょ。私だってできるだけアシュヴィンの近くにいたいし…仲良くしたいし……。」
腕の中から聞こえる声はいつになく甘く色付いて、アシュヴィンの意識をすっかり独り占めにした。
そして千尋に独り占めにされたアシュヴィンの意識は既に暴走を開始していて…
「これはもう誘っているな。」
「へ?」
「明らかに誘っている。」
「誘ってない!」
「としても、今回は全面的にお前が悪い。」
「何がっ!」
激しく抗議を開始しようとした千尋の体はあっけなくアシュヴィンに抱き上げられ、そして、その小さな体はすぐ寝台の上に優しく横たえられた。
目に映るものがアシュヴィンの顔と部屋の天井だけになって千尋の胸は大きく一つ鼓動した。
「わかっているか?ここは寝所で、お前と俺は夫婦で、しかも夜の夜中で二人きりだぞ。あれが誘っていなくてなんだ?」
「そ……。」
「自分の言ったことをよーく思い出してみろ。」
「……。」
アシュヴィンの言う通り、自分の言ったことをよーく思い出して…
千尋は観念した。
誘っているつもりなんて全くないけれど、でも、確かにそう取れないこともない気がしたから。
そして、もしアシュヴィンが誘われたと思ってくれたなら、それはきっと自分に誘ってほしいと思っていたからに違いないと気付いたから。
「千尋?」
「誘ったつもりはないけど…でも、うん、アシュヴィンの言うこともわからないことはないっていうか……。」
「交渉成立だな。」
「へ?」
交渉?と千尋が頭の中でつぶやいた時にはもうその口はアシュヴィンの唇でふさがれていた。
夜さえ寝苦しいほどに暑い夏。
それでもできるだけ近くに居たい、触れていたいと思う気持ちは二人同じく変わらなくて…
口づけを交わしながらアシュヴィンと千尋は互いに互いの体を抱きしめた。
管理人のひとりごと
暑い日はやっぱり窓辺。
ということで1は縁側の話をやりましたが、こちらは窓辺のお話です!
いつもは押しっぱなしで喧嘩になっちゃう殿下が今回は引いてみました!(>▽<)
そしたら千尋が押してきた(゚Д゚|||)みたいな話です♪
これで、押してダメなら引いてみろを殿下が会得すると厄介だな(’’)(マテ
まぁ結局何を書いたかというと…
夏よりも常世の皇夫婦は暑かったという話なのかもしれない(’’;
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