片時も
 千尋は窓から外を眺めてニコリと微笑んだ。

 窓の外に広がっているのは青空。

 小さな雲がいくつか浮かんでいるだけの晴天は眺めているだけでも心地いい。

 今日はアシュヴィンは視察で遠出をしているはずで、それを思うといっそう晴れた空がうれしかった。

 晴れていれば雨に打たれて体が冷えるかも、なんていう心配をしなくて済むから。

 あくまでも皇としての仕事で外出しているわけだけれど、それでも晴れていれば少しは気分もいいはず。

 そう思えば、一人残された千尋の心も少しだけ穏やかになった。

 本当は一緒に視察についていきたかったけれど、それは自分のわがままだとわかっているから千尋はこうしておとなしく留守番をしている。

 大好きな人を困らせたりはしたくないから。

 けれど、風が強かったり雨が降っていたりすれば、そばにいられない分心配はつのる。

 だからこそこうして晴れていてくれるのはありがたかった。

 千尋がそうして晴天に心の中で感謝していると、ドアの向こうに人の気配がして、すぐに声が聞こえてきた。

『姫様。』

 穏やかなことこの上ないこの声の主は間違いなくリブ。

「リブね、入って。」

「失礼します。」

 と言って入ってきたリブはいつも通りのニコニコ笑顔。

 リブがここにいるということは、どうやらアシュヴィンはお気に入りの側近を連れて出なかったらしい。

「珍しいね、リブがアシュヴィンと一緒に行かないなんて。」

「そうでもありません。私は留守居をして、陛下がお出かけの間に新しい道具を作ったりすることもありますから。」

「あ、そうか。でも、リブがいないんじゃアシュヴィン、不便な思いしてないかなぁ。」

 千尋の目はリブから窓の外へと移った。

 いくら遠くを眺めてもそこにアシュヴィンがいないと言うことはわかっているのだけれど、どうしても外を見ずにはいられない。

「陛下はだいたいなんでもご自分でできてしまわれる方ですから。」

「そう、だね…。」

「苦手なことと言えばお茶をいれることくらいでしょうか。」

「そんなのおつきの人がちゃんとしてくれるでしょう?」

「もちろんです。ですから、何も心配なさる必要はありませんよ。」

「うん、わかってるんだけど…。」

 千尋は言い淀んで苦笑した。

 アシュヴィンが頼りになる人で、たいていのことは自分で片づけられるということは千尋もよく知っている。

 それに、皇となった今ではそれ相応の付き人も同行している。

 つまり、千尋が何か心配する必要はどこにもない。

 そんなことはよくわかっている。

 けれど、千尋の思考はどうしてもアシュヴィンから離れてはくれなかった。

「あ、そうだ、リブは私に何か用があったんじゃないの?」

「はい、陛下の代わりに目を通して決済して頂きたい案件があるのですが…よろしいですか?」

「あ、うん、私でよければ。」

 千尋は自分の出番だと張り切ってリブから仕事を受け取った。

 夫が留守の間、代行できることは代行しておくのも自分の務めだと心得ている。

 リブは微笑を浮かべると、腕まくりさえしそうな千尋と共に仕事の山との格闘を開始した。







 仕事の間、リブがアシュヴィンについて尋ねられた回数、およそ15回。

 さすがに仕事が全て片付くころにはリブの顔には苦笑が浮かんでいた。

 早い話が千尋は仕事を片づけながら、一日中アシュヴィンの話をしていた。

 リブにしてみれば微笑ましい光景ではあるが、それにしてもとも思う。

 なにしろ一日中だ。

 重症といっていい。

「帰りは明日になるって言ってたよね…。」

「はい。」

「ちょっと曇ってきたけど雨なんか降らないよね?」

「たぶん大丈夫かと…。」

「ちゃんとご飯も食べたかなぁ…。」

「食べていらっしゃいますよ。」

 リブの言葉に小さく「うん」と返事をして溜息をつく千尋。

「ごめんね、リブ。」

「や、何故、謝ったりなどなさるんですか?」

「だって私、一日中アシュヴィンの話をしている気がする…ごめんね、無駄話ばっかり聞かせちゃって…。」

「いえ…。」

 自分の話を無駄話だと言われたとアシュヴィンが知ったらどれほど怒り狂うだろうかと想像してリブは苦笑した。

 妻が一日中自分のことを話していたとなれば、アシュヴィンは上機嫌になること間違いない。

「自分でも重症だなって思ってるの…一瞬だってアシュヴィンのことから頭が離れないんだもん…。」

「仲睦まじいことは良いことです。」

「でも、こんなふうに片時も頭の中から離れなくて……こんなのやっぱり重症。」

「何が頭の中から離れないんだ?」

 突然聞こえた声に、千尋は一瞬、幻聴を聞いたのかと思った。

 何故なら、それは聞きたいと望んでもかなわないはずの愛しい人の声だったからだ。

 けれど、千尋が声のした方へ視線を向けると、そこには愛しい人…アシュヴィンが立っていた。

「や、陛下、お早いお帰りで。」

「悪いか?」

 不機嫌そうに答える主にリブは苦笑しながら立ち上がった。

 どうやらここは二人きりにした方がいいらしい。

「ちょうど仕事も片付きましたので、失礼します。」

「ああ。」

 あっさりリブを見送ったアシュヴィンは、驚きでかたまっている千尋へと歩み寄ると小さく息を吐いた。

「お前はいつまでそうしてあんぐりと口を開けているつもりだ?」

「え、あ、だって…帰りは明日になるって…。」

「ああそうだ。明日になるはずだったのを仕事を大急ぎで片づけて、黒麒麟を飛ばして帰ってきた。」

「何かあったの?」

「はぁ?」

 そんなに急いで帰ってくるとはいったいどんなことがあったのだろうと千尋が心配そうな顔をして見せれば、アシュヴィンは呆れたと言わんばかりの顔を千尋へと近づけた。

「あ、アシュヴィン?」

「お前に会うために帰ってきたに決まっているだろう。」

「はい?」

「お前に会いたいから急いで帰ってきたと言っている。」

「……。」

 予想もしなかった甘い告白。

 千尋は恥ずかしくて視線を外そうとしたけれど、それはかなわなかった。

 何故ならアシュヴィンがその頤をとらえてくいっと自分の方へ向かせてしまったから。

 やがて顔を真っ赤にする千尋の唇に優しい口づけが降ってきた。

 霞めるような口づけが去っていくと、千尋の視界にアシュヴィンの幸せそうな笑顔が映る。

「あ、アシュヴィン!」

「なんだ、お前に会いたくて帰ってきた夫に口づけくらい許してくれてもいいだろう。」

「そ、それはもちろん、許すけど…。」

「ところで、だ。」

「?」

 ついさっきまで幸せそうにしていたアシュヴィンの声音が変わった。

 突然訪れた不機嫌の気配。

 千尋は嫌な予感がしながらも小首をかしげてアシュヴィンを見上げた。

「片時もお前の頭から離れないことというのはどのようなことかじっくり説明してもらおうか。」

「へ…。」

 真剣に問うアシュヴィンを前に千尋は思わず息を飲んだ。

 別にやましいことはない。

 片時も頭を離れなかったのはアシュヴィンのことなのだから。

 けれど、それを口に出して言うのは恥ずかしくて、千尋は顔を赤くして言葉につまった。

「なんだ?夫には言えないようなことなのか?」

「そ、そんなんじゃないよ!」

「では、話せばいいだろう。何がそんなに頭から離れないんだ?」

「それは…その…アシュヴィンのこと…。」

「俺のこと?」

「うん、そう。アシュヴィンが視察とかで遠出をしてる時も…ううん、ちょっと仕事で一緒にいられない時もいつもずっとアシュヴィンのことが頭から離れなくて…私って重症だなぁって思ってただけ…。」

 恥ずかしいのをこらえて思い切って本心を口にしてみれば、一瞬驚いたような顔をしたアシュヴィンは次の瞬間には極上の笑みを浮かべていた。

 そして大きな手が千尋を立たせると、その体をぎゅっと抱きしめた。

「なら問題はないな。」

「そう、かな…。」

「問題はない。俺も同じだからな。」

「へ?同じ?」

「ああ、俺も視察先でお前のことが頭から離れなくてしかたがない。だから帰ってきた。二人とも同じなら問題はあるまい。」

 腕の中で視線を上げれば、千尋の目に入ったのは幸せそうな笑みを浮かべる大切な人の顔。

 千尋がよかったと心の中でつぶやいて微笑めば、その唇に再び口づけが降ってきた。

 先ほどよりもゆっくりと優しい口づけを千尋は目を閉じて受け入れた。

 これからも忙しくて会えないことはあるけれど、お互いに片時も想いを手放すことがないのならきっと幸せでいられる。

 千尋は幸せな口づけを交わしながらそう信じた。








管理人のひとりごと

まぁ、つまりはどっちもどっちって話です(マテ
片思いとかね、恋愛中はあるでしょう、そういうことも。
でも、ここは万年こんな感じです、たぶん(’’)
殿下も情熱的そうだもんなぁ。
と思って書いてみました♪








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