
「はい、出来上がり。」
千尋がそういって微笑むと、アシュヴィンがそのできばえを確かめて満足そうにうなずいた。
アシュヴィンが手にしているのは自分の三つ編みされた髪の先だ。
朝、アシュヴィンの後ろ髪を三つ編みにするのはすっかり千尋の仕事になっていて、それを満足そうに眺めてから千尋を抱きしめるのもアシュヴィンの日課になっていた。
だから、この日もアシュヴィンは愛しい新妻をぎゅっと抱きしめた。
「アシュヴィン…。」
不満そうな声が腕の中から聞こえたが、アシュヴィンはおかまいなしだ。
恥らって一応は拒否する声をあげるのはいつものこと。
そのたびに引き下がっていては妻に指一本触れることもできないだろうと思うことがある。
だから、アシュヴィンは千尋が小さな声で愛らしく抵抗しているうちは、妻の言い分は聞かないことにしている。
「お前は本当に、毎日朝から愛らしいことだな。」
「なっ…。」
耳元で囁いてやれば、腕の中の愛しい人は力いっぱいアシュヴィンの胸に腕を突っ張って、やっとの思いでその囲いから抜け出した。
「朝から何言ってるの!」
「真実を言ったまでだ。」
アシュヴィンが真顔でそう言えば、今まで桜色だった千尋の頬は真っ赤になる。
そして…
「もうっ、知らない!」
羞恥の極限だったらしい千尋はそう叫ぶと部屋を飛び出した。
怒らせたというわけではなく、極限まで恥らわせただけだとわかっているアシュヴィンは楽しそうに微笑んだだけで妻の後ろ姿を見送った。
ここで追いかけて追い討ちをかけたりすると愛しの妻はすぐに機嫌が悪くなる。
一度機嫌が悪くなるとアシュヴィンでも手に負えないことがあるほどの妻だ。
無理はよくないと追いかけて更に妻を愛でたい自分を抑えつけて、アシュヴィンは政務を始めた。
千尋は寝台の上に膝を抱えて座っていた。
最近のアシュヴィンはなんだかやたらと機嫌がよくて、朝から抱きついてくることもしばしばだ。
それは千尋にとって決して嫌なことではないけれど、ふと疑問に思ってしまった。
いったい、いつからこんなふうになったのだろう?と。
だいたい、初めて出会った時は敵同士だった。
もちろん、出会ってすぐに敵だから憎いなどと思ったわけではなかったけれど、アシュヴィンがどうだったかは知らない。
もしかしたらアシュヴィンの方はにっくき敵将と思っていたかもしれない。
それから色々あって味方にはなったけれど、結婚の話が出た時はなんのことはない、王族同士の政略結婚だった。
またそれから色々あったにせよ、アシュヴィンが国のことを考えて政略結婚に踏み切った事実は動かない。
ならば、と、千尋は考えてしまう。
最近機嫌がいいのは国がうまく復興しているからだろうか?
やたらと優しくしてくれるのは政略結婚で得られた結果が想像以上に大きかったから?
それとも…
考え始めるときりがなくて、千尋は深い溜め息をついた。
と、そこへ扉の開く音がして、早くも寝巻き姿になっているアシュヴィンが姿を現した。
千尋が視線を上げればやっぱり機嫌良さそうにニッコリ微笑んで見せる。
以前はもう少し棘があったというか、険しさみたいなものを含んだような笑顔だった気がするのに、今のアシュヴィンは心から微笑んでいるように見えた。
その笑顔の意味を知りたくて、千尋は寝台の端に腰掛けたアシュヴィンの顔をのぞきこんだ。
「どうした?今宵はやけに積極的だな。」
「へ?何が?」
「お前がそんなふうに俺に近付いて、熱い眼差しを向けてくれるのは初めてのことだ。」
「あ、熱い眼差しなんか向けてない!」
「なんだ、違うのか。」
あからさまにがっかりして見せたアシュヴィンに千尋が慌てて言い訳をしようとすると、その細い肩がいきなり抱き寄せられた。
「アシュヴィン?」
「残念なことだな、今宵は奥方殿の方から愛を囁いてくれるものかと期待したんだが。」
間近でそんなことを言われて、あっという間に千尋の顔は真っ赤になった。
「そ、そんな恥ずかしいことできないよ…。」
「では、俺から囁いてやろう。美しい俺の奥方殿、愛している。」
千尋の耳元でアシュヴィンがそう囁けば、いつもは真っ赤になって暴れたりもだえたりする千尋がアシュヴィンをまっすぐみつめた。
おや?と心の中でつぶやいたアシュヴィンの眼が少しばかり見開かれる。
「あのね、アシュヴィン、聞きたいことがあるんだけど。」
「なんだ?俺はお前一筋、他の女に目を向けたりはしていないぞ?」
「そ、そんなことじゃなくて!」
「ではなんだ?」
改めて問われて、千尋は覚悟を決めたように表情を引き締めた。
「アシュヴィンが私に優しくしてくれるのは私のことを好きだから?」
真剣な顔で問いかける千尋に、アシュヴィンは言葉もなく目を見開いた。
みるみるうちに千尋の顔が心配そうに翳っていく。
「他にどんな理由があるんだ?」
やっとの思いでアシュヴィンが問いかければ、千尋の碧い瞳は更に不安そうに翳った。
「政治的に必要だから、大事にしないと、とか…。」
「はぁ?なんの話だ、それは。」
「だって、私とアシュヴィンは政略結婚でしょ?だから…。」
ゆっくり瞬き3回分は驚きで沈黙して、それからアシュヴィンは深い溜め息をついた。
「何を言い出すかと思えば。」
「だって、すっかり忘れてたけど、私達って政略結婚だったなぁって思い出したら気になって…。」
「確かに手段としてはそうだったがな。」
「手段としては?」
「俺は惚れた女を手に入れるためなら手段など選ばんぞ。」
「へ?」
「まったく、お前は。」
呆れたようにそう言って、アシュヴィンは千尋を寝台の上に押し倒した。
上から見下ろされる形で見つめられて、千尋の顔が一気に赤くなる。
「な、なに?」
「俺は初めからお前が欲しいから政略結婚にもちこんだんだが?お前は好きでもない男のもとへ嫁いできたのか?」
「そ、そういうわけじゃ…私だって、別にいやじゃなかったし…その…好き、だったと思うけど…。」
「ほぅ。」
「でも、政略結婚は政略結婚でしょ?」
「手段などどうでもよかろう?おかげで俺は惚れた女を即座に手に入れることができて、ついでに国も安泰。言うことはなしだ。お前が俺に惚れてさえいてくれればな。」
「そ、それは…。」
アシュヴィンの顔が近付いてきて、千尋の胸の鼓動が速くなる。
「俺は初めて会った時からずっとお前を想っていたぞ?」
「うそ…。」
「嘘じゃない。で、お前は?」
「わ、私は…えっと…最初に会った時は印象的な人だなって…。」
「ほぅ、で、結婚する時は別にイヤじゃなかったと。」
「うん。」
「まあ、それでよしとしてやろう。で、今はどうなんだ?」
「今?」
「ああ、今は俺をどう思っている?」
「……。」
いつもよりも低い艶やかな声で問われて、千尋はごくりと生唾を飲み込んだ。
間近で見つめられて恥ずかしいのに視線を反らすことができなくて、アシュヴィンの瞳にとらわれて身動きもできない。
問いの答えは簡単だけれど、それを口にするのはやっぱり恥ずかしくて…
千尋はまっすぐアシュヴィンの視線を受け止めたまま、浅くて速い呼吸を繰り返し、そしてその薄い唇を開いた。
「大好き、だよ。」
思い切ってそう答えをつぶやけば、見下ろすアシュヴィンの口元にニヤリと笑みが浮かんだ。
「大好き、か。悪くないな。」
かすれた小さな声でそう言って、アシュヴィンはそっと千尋に口づけた。
真っ赤な顔の千尋は、ゆっくりと目を閉じてアシュヴィンの口づけを受け入れた。
こんなふうに優しく口づけられる日がくるとは、出会った時は思ってもみなかった。
結婚も最初は政略結婚だったけれど、どうやらそう思っていたのは千尋だけのようで…
唇が離れるのと同時にゆっくり目を開けて、千尋はアシュヴィンの顔を間近に見つめた。
あんなにも出会った時、不敵だったその顔には今、幸せそうな笑みが浮かんでいた。
管理人のひとりごと
ある日突然ふと思い出した、そういえば政略結婚だった気がする、と(笑)
で、そこを掘り返してみると「はぁ?」って言われたと(w
殿下はあんな感じで傍若無人ぶってますが、意外と相手のことを考えてると思う。
特に相手が惚れた女ならなおさらのこと。
政略結婚だって、千尋ちゃんが本気で嫌がってたらアシュヴィンは話を進めなかったんじゃないかなぁ。
ああ、殿下なら政略でもいいから結婚したいと思われるようになるまで口説くか(爆)
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