
アシュヴィンは珍しくまだ陽の高いうちに根宮の中を闊歩していた。
その足取りはかなり軽い。
それというのも珍しく陽の高いうちに政務が終わったからだ。
となると、アシュヴィンの足の向かう先は愛しい新妻のもとしかありえない。
いつもは仕事に追われてなかなかゆっくり顔を見ることさえ難しいのだ。
たまに早く仕事を切り上げたときくらい、ゆっくり愛妻を堪能しよう。
そう考えてアシュヴィンはまっすぐ千尋の部屋を目指して歩いていた。
そしてその扉の前に立って…
手土産の一つも持ってきたほうがよかったろうか?
などと一瞬考えたが、そんなものを用意している時間ももったいない。
結局、アシュヴィンはその扉を軽くノックした。
ところが、扉の向こうからは返事がない。
闊達な千尋のことだ、まさかまた黒麒麟と散歩などに出かけていてもおかしくはない。
アシュヴィンは一気にその顔を不機嫌そうに歪ませながら扉をゆっくりを押し開けた。
すると…
「なんだ、いるじゃないか、返事くらい…。」
そう言いながら窓辺に座っている千尋に歩み寄ったアシュヴィンは、途中で言葉を飲み込んだ。
千尋は窓辺に座ったまま目を閉じ、静かに寝息をたてていたのだ。
そんな千尋を窓から射し込む陽射しが優しく照らしている。
日の光に照らされて眠る千尋はまるで天から降りてきた天女のようで、それでいて愛らしい。
思わずアシュヴィンの口元も緩んだ。
せっかくの休みを妻と二人で散歩でもしながら過ごそうかと考えていたのに、妻が眠っているとあってはそれはかなわない。
だが、アシュヴィンが機嫌を損ねることはなかった。
何故なら、目の前で眠っている妻があまりにも愛らしかったからだ。
アシュヴィンは散歩の予定をあっさりと胸の内で取り消すと、千尋の隣に腰を下ろした。
そしてそっとその肩に手を回し、千尋の体を抱き寄せる。
すると千尋はアシュヴィンの胸にもたれて眠りながらもうっすらと微笑んだ。
「アシュヴィン…。」
どんな夢を見ているものかアシュヴィンの腕の中でそうつぶやいた千尋の顔は穏やかだ。
夢の中とはいえ、自分の名前を呼ばれて嬉しくないはずのないアシュヴィンは、自分のマントで千尋の体を包んでやると小さな体を更に抱き寄せて満足げな笑みを浮かべた。
外からは気持ちのいい陽射し。
腕の中には愛しい妻のぬくもり。
そしてなにものにも追われることのない時間。
アシュヴィンは満足げに目を細めて、このまま千尋の眠りを守る一時を楽しむことに決めた。
千尋はとても暖かくて幸せな気分で目を開けた。
するとなんだか見慣れた布が自分の体の上に乗っていて、何やら背中が温かい。
千尋は何度か瞬きをしてから小首を傾げながら体を起こした。
そして周囲を見回すと…
「アシュヴィン…。」
千尋が背を預けていたのはそのアシュヴィンの胸だった。
千尋の隣に座っているアシュヴィンはと言うと、その目を閉じて寝息をたてている。
一瞬驚きで目を丸くした千尋は、じっとアシュヴィンを覗き込んでその寝顔をじっくり見つめてから小さく息を吐いた。
どうやら窓辺で日向ぼっこをしているうちに自分は眠ってしまって、その間にアシュヴィンが訪ねてきたものらしいとだいたいの出来事を予想する。
そしてきっとアシュヴィンは自分を起こさずに静かに眠りを守ることを選んでくれたのだ。
ところが、自分も疲れていたアシュヴィンはやがて陽射しの暖かさに負けて眠ってしまったというところだろうか。
いったいどれくらいの時間眠っていたのかと千尋が窓の外を眺めれば、陽はもう暮れかけていた。
このままだと少し肌寒くなるかもしれない。
気持ちよさそうに眠っているアシュヴィンを起こすのはかわいそうな気もするのだが、このまま放っておくと風邪をひいてしまいそうだ。
これはどうしたものかと千尋が難しい顔で考え込んだその時、アシュヴィンの口元がうっすらと笑みを浮かべた。
「アシュヴィン?もしかして起きてる?」
「こういう時は口づけで眠りを払うのが常套というものだからな、待っていたんだが。」
そう言ってアシュヴィンはぱちりと目を開けた。
いつもの不遜な笑顔を見て、千尋は思い切り顔を赤くする。
「く、口づけって、それは逆でしょう?普通は王子様がお姫様を口づけで起こすんだよ。」
「それもそうか。」
あっさりとそういったアシュヴィンはどうだといわんばかりの千尋が警戒する暇も与えずにさっと口づけた。
「アシュヴィン!」
「皇子がするのが普通なのだろう?」
「私はもう起きてるから!」
「細かいことは気にするな。」
「もぅ、アシュヴィンはいつもそうなんだから。」
「そう怒るな。午睡はじゅうぶん楽しめただろう?」
「そ、それは、まぁ……。」
言われてみれば、アシュヴィンが起こさずに抱いていてくれたおかげで、千尋はそれは幸せな昼寝を楽しむことができたのだが…
アシュヴィンに抱かれて眠っていたのだと改めて自覚して千尋が照れていると、アシュヴィンが面白そうにクスリと笑った。
「何がおかしいの?」
「いや、俺のお妃殿はずいぶんと愛らしいと思ってな。」
「へ?何が?」
「夫に抱かれて昼寝をしたくらいで恥らっているからだ。」
「そ、それは当たり前でしょう!男の人に抱かれて寝てるなんて恥ずかしいよ、普通…。」
「夫なのだからいいじゃないか。」
そう言って身を起こしたアシュヴィンは恥らっている千尋を再び自分の腕の中に閉じ込めた。
「アシュヴィン、もう起きたってば…。」
一応抵抗はしてみるものの千尋の声はだんだんと小さくなってしまい、対するアシュヴィンは愛しそうに腕の中の千尋を見つめている。
「そ、そういえば、アシュヴィン仕事は?今日は休みになったの?」
「ああ、珍しくな。だからお前と散歩でもと思ってきたんだが、お前は幸せそうに眠っていたというわけだ。まぁ、おかげで俺も今日はずいぶんと気分のいい午睡が楽しめたが。」
「起こしてくれればよかったのに…。」
「起こせるわけないだろう。あんなに愛らしい顔で眠っていて、しかも、寝言であんなに幸せそうに俺の名を呼ばれたりしてはな。」
「えっ、私、寝言を言ったの?」
「寝言というか、まぁ、俺の名を愛しそうに呼んだぞ?どんな夢を見ていたんだ?」
「うそっ、恥ずかしい……。」
「夫の名を呼んで何が恥ずかしいものか。で、どんな夢を見ていた?」
「えっと、それは……アシュヴィンが視察先からすごくおいしい果物を持って帰ってきてくれて……。」
恥ずかしそうにそういう千尋に一瞬驚いたアシュヴィンは、すぐに苦しそうに笑い始めた。
「アシュヴィン!」
「どんなに艶っぽい夢を見ていたかと思えば、俺の妃殿は色気より食い気か。」
「色気より食い気ってっ!」
「まぁ、そのうち正夢にしてやるさ。」
千尋の耳元でそう囁いて、アシュヴィンは千尋の小さな体を自分の膝の上に乗せてしまった。
「アシュヴィン?もうすぐ陽が暮れるし、その……夕飯を食べに……。」
千尋が顔を赤くしながらやんわりと自分を抱くアシュヴィンの腕を解こうとすると、その腕はよりきつく千尋を抱き締める。
これでは身動きが取れないとアシュヴィンの方を振り返ろうとすると、その体はがっちりとアシュヴィンの腕の中に閉じ込められて動けなくなってしまった。
「ちょっと、アシュヴィン…。」
「まだ日暮れまでは時があるだろう?」
「それはそうだけど…これじゃなんにもできない…。」
「何もしなくていいさ。俺はこうしてお前をここに閉じ込めておければそれでいい。」
「アシュヴィン…。」
「普段は忙しくてなかなか二人でゆっくりすることもままならんからな。」
「そう、だね。」
耳元で聞こえるアシュヴィンの声はどこか切なげで、千尋はアシュヴィンの腕から逃れることをあきらめた。
アシュヴィンの言うとおりこんなふうに明るいうちから二人でゆっくりできることなどなかなかない。
だから、このままでゆっくりするのも確かにいいかもしれない。
そう思い直して千尋はその背をアシュヴィンに預けた。
「今日は素直だな。」
「今日はって……。」
「近々ちゃんと一日休みを作る。次こそ散歩にでも出かけよう。お前は天気のいい日にこんなところに閉じこもっているのが似合う女じゃないからな。」
「それっておてんばって言いたいの?」
「いや、皇の妃にふさわしいと言っている。」
囁くように千尋の耳元でそういったアシュヴィンは千尋の首筋に一つ口づけを落とした。
いつもならむきになって嫌がる千尋はだまって首まで真っ赤になりつつも、じっとしていた。
どうやらこれは付き合ってもらえるものらしいと、アシュヴィンはその口元に笑みを浮かべて千尋を更に抱き寄せる。
夕陽に照らされて更に赤くなる千尋とその千尋を満足げに抱きしめるアシュヴィンの二人は、陽が暮れて辺りが暗くなるまでそうしてたたずむのだった。
管理人のひとりごと
まぁ、バカップルってことです(’’)(マテ
アシュヴィンは普段とっても忙しそうなので、たまに時間ができたときくらいはべったべたに(w
千尋ちゃんはいつまでたっても照れますな(w
もうちょっとアシュヴィンと二人の時間がとれたら夫婦っぽくなるんだろうなぁと思っていたりします(’’)
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