紅に染まる
 頼久は武士溜まりで部下達が大きな声をあげながら鍛錬に励んでいるのをぼーっと眺めながら考え事にふけっていた。

 脳裏に浮かんでいるのは物憂げなあかねの顔だ。

 闊達なあかねはいつもニコニコと微笑んでいて、頼久と共にいる間は幸せそうにしてくれていることが多い。

 多いのだが…

 ここのところふとした瞬間に物憂げに何か考えていることに頼久は気付いていた。

 どうかしたのかと尋ねてみても、いつものようになんでもないと微笑を浮かべられるだけで何を考えていたのかは教えてもらえない。

 言葉巧みに聞き出すことなど、京中の女性が憧れてやまないどこかの少将殿のように頼久にできるはずもなく…

 結局、あかねが何を物憂げに考え込んでいるのかについて、頼久が知る方法はなかった。

 何を悩んでいるのかわからなければ当然、解決することもできない。

 解決することはできないが、大切なあかねのことだから、頼久も悩まずにはいられないというわけだ。

「若棟梁!終わりました!」

「……。」

「若棟梁?」

「ん?」

「全員、日課を終えましたが…。」

「あ、ああ、では解散だ。」

 若い部下に小首を傾げられて、頼久は一つ咳払いをした。

 何か聞きたげな若者はそれでも頼久の質問は受け付けない雰囲気に気圧されて、鍛錬を終えた武士達は次々に武士溜まりを去って行った。

 一人残った頼久はといえば、腕を組んで眉間にシワを寄せ、考え込むことしばし。

 小さく溜め息をついて立ち上がった。

 解決策が見つかったわけではない。

 ここで一人考え込んでいても解決しないと悟ったのだ。

 あかねの考えていることはわからない。

 聞いても答えてはもらえない。

 できれば恋敵にあたる友雅には相談したくないとなれば、頼久に選択できる解決法はただ一つ。

 その一つに思い至って、頼久は決意も新たに一歩を踏み出した。







「頼久さん、今日はお休みですよね。どうしましょうか?ゆっくり休むのもいいですけど、気晴らしにどこか行くとか…あ、用事はないですか?」

 朝餉をゆっくりと食べ終えて一息つくと、頼久の目の前には楽しそうなあかねの笑顔があった。

 こうして目の前の笑顔を見ていると、時折考え込んでいるあかねは幻だったのではないかと思うほど楽しげだ。

「頼久さん?お休み、ですよね?」

「はい。」

「何か用事とか…。」

「いえ、ありません。」

「じゃあ、今日は一日ここでゆっくりしますか?」

「いえ、その……本日は共に出かけて頂きたい場所があるのですが…。」

 突然何を言い出すのかと言われることを承知で頼久がおずおずとそう言うと、頼久の予想に反してあかねの顔にはぱっと明るい笑みが灯った。

「私と一緒におでかけしてくれるんですか?」

 この一言で、目の前の女性がこの京の生まれではなく、普通に一人で外を出歩く世界からやってきた人なのだと思い出した頼久は、ほっと安堵の息を吐いてゆっくりうなずいた。

「はい。良い季節になって参りましたので。」

「嬉しいです!じゃあ、すぐ支度してきますね!」

「いえ、支度は……。」

 牛車を使うから身動きしやすい姿でなくてもいいと言おうとした頼久の言葉は口から出ることはなかった。

 あかねは大喜びで奥へ引っ込み、おそらく京の女性では考えられない速度で着替えてくることだろう。

 十二単で着飾ったあかねはもちろん美しいが、身動きしやすいようにと水干をまとった姿も頼久にとっては懐かしさもある愛らしい姿だ。

 どちらでも良いかと微笑みながら頼久も自分の準備を整えれば、予想通り水干姿のあかねが満面の笑顔で頼久の前へ戻ってきた。

「お待たせしました!」

「いえ、私も今ちょうど準備が整ったところです。」

 頼久が当然のようにそう返事をすると、あかねが何故か頬を赤らめて幸せそうに微笑んだ。

 頼久にしてみればごくごく当然の言葉をなりゆきで口にしたに過ぎないので、何故あかねが幸せそうなのかがわからない。

 訝しげに首を傾げてみれば、あかねが更に恥ずかしそうに説明してくれた。

「ああ、ごめんなさい。頼久さんには何がなんだかですよね。えっと…その…まだ私が向こうの世界にいた頃、恋人同士のデートの始まりってこういう会話だって聞いてたなと思って…その…幸せだなぁって…。」

 そう言って更に赤くなりながら微笑むあかねに頼久もつられるように笑みを浮かべた。

 デートというものが逢引を意味する言葉だということは既にあかねから聞いて知っている。

 つまり、憧れていた愛しい人との逢引の際の会話を交わしてあかねは今、幸せを噛みしめているということだ。

 頭の中でそう整理して頼久は笑みを深くした。

 自分との逢引をこんなふうに幸せだと言ってもらえることが頼久にとっては何よりうれしい。

 何しろ、目の前のこの女性は自分などよりもっと優れた殿方達に密かに想いを寄せられていたのだ。

 その中から自分を選んでもらえただけでも奇跡のようだというのに、こうして目の前で幸せだと言って微笑んでもらえるとは。

「頼久さん?」

「私も幸福です。」

「へ……。」

 突然の頼久の宣言に一瞬呆けてから真っ赤になったあかねの手を取って頼久はゆっくり歩きだした。

「あの、頼久さん、どこへ行くんですか?」

「船岡山まで参ります。少し距離がありますので、馬を使いましょう。」

「はい……あ…。」

「神子殿?」

「ひょっとして牛車を使うつもりでした?」

「そのつもりでしたが、神子殿がそのお姿なら共に馬に乗った方が早くつきます。」

「ごめんなさい、私…。」

「は?」

「ちゃんとしたかっこうに着替えてきます…。」

 慌てて引き返そうとするあかねの手を頼久は優しく引き戻した。

「どうかそのままで。私も神子殿と二人で馬に乗りたく思いますので。」

「頼久さん…。」

 京の女性、特に身分の高い女性は他人に顔を見せない。

 他人から顔を隠すためにも牛車を使うのが普通だ。

 それを忘れてすっかり歩いて行くつもりだったことを申し訳なく思ったらしいあかねだったが、頼久の一言でその顔には笑みが戻った。

 頼久の常識からすれば、あかねは身分高き女性だから牛車を用意するのが普通だ。

 だが、あかねが共に馬に乗ってくれるというのなら、頼久もそれが嬉しくないわけではないのだ。

 思いがけなく馬上であかねの小さな体をかき抱けることになった頼久は、心持ち浮かれた足取りで馬を厩から引き出した。

 気性のおとなしいその馬に乗って、二人は船岡山へと出発した。

 馬の上は想像しているよりも視界が良い。

 あかねは背を頼久に預けてきょろきょろと辺りの風景を楽しみ、頼久はそんなあかねの後ろ姿と背の温もりを楽しみながらの道中となった。

 天気は上々。

 夏が過ぎ去った後の少しばかり肌寒い風が時折吹いてはいるものの、二人で並んで馬に乗っていれば寒さなどは感じない。

 辺りの景色を楽しみながら馬を進めていけば、船岡山にはあっという間に到着した。

 そしてその登り口には見慣れた顔ぶれがずらりと並んでいた。

「友雅さん、鷹通さん、イノリ君に泰明さん、永泉さんまで、どうしたんですか?」

「我らの神子殿と共に紅葉狩りを、とね。」

 相変わらずの艶やかな様子でそう言ったのは友雅だ。

 その後ろに並んでいる八葉の面々は友雅の言葉に楽しげにうなずいている。

 頼久はあかねをそっと馬から降ろすと、仲間達へと駆け寄るあかねの姿を見守った。

「嬉しいです!みんな久しぶりだし!」

 飛び上がらんばかりに喜ぶあかねを傍らで眺めて、頼久はそっと安堵の溜め息をついた。

 あかねに何か悩み事があるのなら解決したいとは思う。

 だが、悩み事の内容がわからないでは解決のしようがない。

 であれば、せめて気分だけは晴らしてほしい。

 その方法だけは頼久も心得ていた。

 そう、誰よりも仲間想いのあかねは最近頻繁には会えなくなっている仲間に会えば間違いなく喜ぶ。

 頼久の判断は間違ってはいなかったようで、あかねは満面の笑顔だ。

「本当に久しぶりですよね。でも、みんな忙しいのに大丈夫なんですか?」

「問題ない。」

「たまのことだしな。」

「神子殿に季節を楽しんで頂けるのでしたら。」

「私も文字ばかり見ていては肩が凝りますので。」

 泰明、イノリ、永泉、鷹通がそう言って微笑むと、最後に残った友雅がちらりと頼久を見てからその口の端を上げた。

 こういう笑い方をする友雅はろくなことを考えていないと学習している頼久が先へ進もうと促すより先に友雅は口を開いた。

「神子殿が何やら毎日悩んでおいでで心配だ。皆でなぐさめて差し上げてほしいと頼久に頼まれてはねぇ。」

「友雅殿!」

「へ……。」

 やはりだと心の中で舌打ちしながら頼久は首を軽く横に振った。

 確かにあかねを元気づけてほしいと頼んで周りはしたが、そのことはもちろん口止めしてあったのだ。

 それを友雅はさもおかしそうにさらりと言ってのけたのだった。

「それで、神子殿は何をお悩みだったのかな?私に相談してくれれば年の功ですぐに解決して差し上げるよ?」

「悩んで……ないですけど……。」

「おや、神子殿はこう言っているよ、頼久。」

 この場にいる全員の目が頼久へ向いた。

 こんな場ですぐに話してくれるようなら仲間を集めたりはしていないのだ。

 と、頼久が抗議しようとしたその時、あかねが大声をあげた。

「ああああ!」

「おや、神子殿は何か思い当たる節があったのかな?」

「な、悩んでた、かも……。」

「ふむ。それで、頼久が青い顔で私達のもとを駆け回るくらい何を悩んでおいでだったのかな?神子殿は。」

「へ…青い顔でって……そ、そんなに心配かけてたんですか?」

「いえ……。」

 頼久は友雅をきりりと睨んでから溜め息をついた。

 もちろん、友雅は頼久の視線などどこ吹く風だ。

「ごめんなさい。頼久さんがそんなに心配するならちゃんと聞けばよかった…。」

「聞く、ですか?」

「その…ここのところ悩んでいたのは頼久さんのお誕生日の贈り物を何にしたらいいかっていうことで……。」

『……。』

 一瞬の静寂の後、あかねは耳まで赤くなって全員にぺこりと頭を下げた。

「こんな大ごとになってごめんなさい。そ、その、本人に何が欲しいですかって聞くのもどうかと思って、でも、頼久さんは物欲あまりないし、何を贈ったら喜んでくれるかわからなくて……。」

「なるほどね。では、その悩みは私がすぐに解決して差し上げるから、今日は一日我々と楽しく紅葉狩りをしてくれるかい?」

「え、友雅さん、頼久さんが欲しいものがわかるんですか?」

「簡単だよ。頼久に聞かれてはいけないからこっちへおいで。」

 優雅に微笑みながら手招きする友雅にあかねがふらふらと近づくのを頼久は何も言えずに見守った。

 何しろ悩みの種が自分だったというのだから、頼久にはもう何をどうすることもできない。

 だが、友雅があかねの耳に口を寄せる風景を見ているだけで頼久の胸はちりりと痛むのだ。

 あかねが友雅の言葉を聞いたとたんに首まで赤くなるのを見てはさすがの頼久ももうじっとしてはいられなかった。

 友雅があかねに何を言ったのかはもちろん聞こえない。

 今の頼久にとっては話の内容などはもうどうでもよかった。

 つつとあかねに歩み寄った頼久はその腕をそっと掴んで、ゆっくりと歩き出した。

「よ、頼久さん?」

「友雅殿のおかげでお悩みも解決したようですので、これからは秋の風景をお楽しみください。」

「おやおや、妬かれてしまったようだね。」

 背後で聞こえる友雅の声に頼久は振り返りもせずに眉根を寄せた。

 隣を歩くあかねは赤い顔のままクスッと笑みを漏らすと、すぐに頼久の手から自分の腕を引き抜き、今度は逆に頼久の腕に抱きついた。

「頼久さんに心配かけたのは申し訳なかったですけど、でも、こんなふうにみんなで秋の山を楽しめるなんて凄く嬉しいです。頼久さん、有り難うございます。」

「神子殿…。」

 自分の腕を抱いて歩いてくれるあかねを見ては、もう頼久も友雅への怒りを持続することはできなかった。

 今日一日はあかねのために。

 頼久がそう心に強く思うのと同時に、仲間達が二人を囲むようにして歩き出した。

 全員の顔には柔らかな笑顔。

 秋の一日を頼久は愛しい妻と、妻が大切に想ってやまない仲間達と共に賑やかに過ごすのだった。








管理人のひとりごと

今年は管理人の生息地でも秋が遅くてですね…
いまだに暑くて窓開ける(ノД`)
おっかしいなぁ、九月はもう涼しいはずなんだけどなぁ…
ということで、管理人の生息地さえまだ紅葉はしてませんが、一足先にあかねちゃん達に秋を楽しんでもらいました。
まぁ、あかねちゃんが悩むことなんて、たいてい頼久さんのことです(’’)
それを肴にみんなで楽しみましょうというお話しでした。










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